「月刊 香華堂報より_浄土真宗ご旧跡めぐり」カテゴリーアーカイブ

亀山御坊本徳寺様

 

【亀山御坊本徳寺】浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路日亀山三二四

正月休みを利用して姫路にある御坊さん二ヶ寺、亀山御坊本徳寺(かめやまごぼうほんとくじ)様(本願寺派)と 船場別院(せんばべついん)本徳寺様(大谷派) に行ってきました。

本徳寺は蓮如上人の弟子で御堂衆(みどうしゅう)であった空善(くうぜん)が開基(かいき)で、元は英賀(あが)という土地にありました。

羽柴秀吉の西国攻めに伴い亀山に移動し、江戸時代になってこの地を治めた本多忠政の船場の土地寄進により、大谷派本徳寺が分立しました。

亀山御坊本徳寺本堂

まずは亀山本徳寺様のお話をしたいと思います。京都から電車で約一時間半姫路駅に降り立ちました。北側に出ると駅から白鷺城(しらさぎじょう)と呼ばれる白く美しい姫路城が正面に見えます。そこから西の方に進むと山陽電車の山陽姫路駅から二駅目 の亀山で降りてすぐのところに本徳寺様はあります。

塀に沿って歩いて行くと入口に向いま す。門前の道は石畳で整備されていました。まずは立派な大門をくぐり境内に入 ります。本堂は大門を入ってやや左手に あります。

この本堂は元々京都の西本願時の阿弥陀堂の北側に並んで建っていた 北集会所(きたしゅうえしょ)と呼ばれた建物です。明治六年(一八七三年)三月に移築されたものだそうで、明治維新(めいじいしん)では本堂が新撰組の屯所(とんじょ)になっていたそうです。

柱に残る刀傷

実際その時の刀痕(かたなきず)が本堂右外側の柱にありました。触ってみることもできるのでいささかその時代を回想して興奮してしまいました。

平 成十六年(二○○四年)六月九日と十日には、ここでNH K大河ドラマ「新撰組」の撮影が行 われたそうで、撮影風景のポスターも貼(は)ってあり、山本耕史さんや藤原竜也さんの姿も見受けられました。

本堂自体は浄土真宗の本堂には珍しい妻入りで奥行の長い建物です。お正月なので白幕が張っ てありました。堂内に入ると、きれいに修復された直後のようでしたが、照明が少し暗めでしたので、荘厳な雰囲気でした。

境内にはいろいろな建物があります。 まず、本堂向かって左には蓮如上人の御木像が安置した中宗堂があります。堂内 に入ると蓮如上人の木像が御厨子に安置されていました。

他の建物では、兵庫県指定文化財であ る八角輪蔵を持つ経堂(きょうどう)があり、本山の経堂(きょうどう)と非常に似た造りとなっています。反対側には書院大広間などがありますが、 特に大広間上段の間を見上げると素晴らしい花の丸の絵が描かれておりました。

今回、お寺を回るのに手書きで書かれた案内地図を参考に回りました。印刷さ れたものが主流ですが、こうした手書きのものは心がこもっていて大変親しみがもてました。次回は船場別院本徳寺様をご紹介したいと思います。

真宗大谷派 城端別院善徳寺

 

城端別院本堂
城端別院本堂

【場所】富山県南砺市城端四〇五

出張で近くを通ったので、真 宗大谷派の南砺(なんと)市にある城端別院へ行きました。前日に近くの砺波(となみ)のホテルに宿泊したので すが、八尾(やつお)町も近くなので「お わら風の盆」のポスターがあちらこちらに貼(は)ってありまし た。八尾とも近い位置にあるのですね。

別院に向かうと、次の日から二日間、城端地区で「むぎや祭」が開催され、別院も会場になるようで準備の真っ最中でした。

城端地区の駐車場に車を止め、別院までのゆるやかな坂を上って行きました。いつもなら別院の境内に車を止めることができそうです。

さて、その坂を上っていくと、ま ず山門が見えてきます。山門にも賑々にぎにぎ)しく提灯が吊(つ)ってあり、境内には椅子が並べられていました。

城端別院山門
城端別院山門

 

本堂右側の対面所になっている建物から入り、左手に曲がり本堂へと向かいまし た。本堂はちようど漆塗工事の真っ最中 で、職人さんが内陣と外陣の境の柱の漆塗 をしているところでした。

また外陣では別 院の職員さんが掛軸を丸めて片づけられて いました。本堂内部の修復は、平成二十三 年度~平成二十九年度(平成三十年三月) まで行われる予定です。

仏具を見ると、欄 間や柱などが金箔できれいになり、今行わ れている工事が終わるともっときらびやか になりそうです。

特に特徴あるのがご本尊を安置する宮殿(くうでん)です。一般的なお東の宮殿 は、正面に唐破風(からはふ)の屋根がありますが、両側にも千鳥(ちどり)破風があり、屋根が多い形の宮 殿となっています。七尾仏壇の宮殿に似 ています。

他 には、城端別院のホーム ページを拝見すると法話に 力を入れてい らっしゃるようで、一年三百六十五日、休むことなく続 けられているそうです。継続は力なりですね。

 

蓮如上人腰掛石
蓮如上人腰掛石


外に出ると、祭
の準備で忙し い所を本堂向かって左手の宝物館に向いま した。しかしながら、本堂修復中のため拝観できませんでした。境内には蓮如上人像 とその前にある「蓮如上人腰掛(こしかけ)石」があり ましたので、それを見て写真に収めました。

前に立っていた立札によると「この石は廃村になった中河内道場にあった「蓮如上人 腰掛の石」と呼ばれている石です。中河内 では「安産石」と呼ばれていました。

その謂れは、「村の肝煎の娘が難産で苦しんでい たとき、この石の腰かけさせたところ安産 したという石であります。」と書かれていました。城端地区ではこの話を元に紙芝居をされることもあるようです。

 

城端地区はテレビアニメ「true tears」 の舞台となったところで、城端駅ではその アニメ関連のグッズも置かれているようで す。城端地区は全体に道が広く、町家の建物やお店があり雰囲気のある町です。今度 はのんびりと街を回りながら訪問したいで すね。

真宗大谷派 大垣別院開闡寺(かいせんじ)

 

【場所】岐阜県大垣市伝馬町十一番地

今回は真宗大谷派の大垣別院 を訪問しまし た。大垣教区にはお客様も多く、なじみ深い地域です。教区内の大谷派寺院数は四〇〇ケ寺以上有る大教区です。教区の教務所も別院境内にあります。

 

大垣別院本堂
大垣別院本堂

 

大垣別院は大垣駅から徒歩約十分。大垣城 や官公庁が近くにある大垣市中心部に位置 します。近隣の市営駐車場に車を止め徒歩 で別院に向いました。

別院に近づくと大きな 鉄筋造りの白い大きな二重屋根の本堂が見 えます。本堂に合わせて山門も白く、白い建物も清々しくていいですね。先ず本堂に 入りお参りをしました。

本堂内は天井が高く、 参詣席には椅子が並べてあります。本堂を見渡して特徴的なのは欄間(らんま)です。金属でで きているのでしようか、平らな天女像が三尊前にも両余間にも荘厳されています。

 

句仏上人の句碑
句仏上人の句碑


境内には幼稚園があり賑やかな声が聞こ えます。本堂を出て、改めて山門近くに行 くと「濃尾震災百年記念碑」がありまし た。そこには富永覚梁氏による「朝に寄せ る挽歌」の詩が刻まれていました。

この石 碑は、一八九一年(明治二十四年)十月 二十八日の早朝に起こった濃尾震災から百 年後の一九九一年に追悼の気持ちを込めて建立されたとのことです。この地震の影 響でしようか、大垣近辺のお寺様は鉄筋の 本堂も多く見受けられます。

濃尾地震百年記念碑
濃尾地震百年記念碑

 

本堂右横には別院にはおなじみの句仏上人の句碑もあります。俳句の文字は調べても分かりませんでしたので、またご存知の 方があればお教えください。

本堂内に「おおがきご坊」の寺報があり ました。それによると、一〇一六年五月、 ご門首を迎えて(ご親修)の親鸞聖人七〇五十回御遠忌法要が執り行われました

その際、 法要を勤めるだけでなく、そのよう用前には初参式と花まつりが 行われたり、六月から第二土曜日に「寺子屋ゴボちゃん」と名付けられた小学生対象の子供会が 開かれたりと、いろいろ工夫されているなぁと感じました。

その昔、大垣別院は「大垣御坊」や「ごぼさん」と呼ばれていたこ とから「ゴボちゃん」と名付けられたよう です。またその寺報には、別院に参詣された二十代から八十代までの八十人にアン ケートを取られ、「大垣別院を知っていま すか」とか、「大垣別院で法話を聞きたい ですか」などのアンケート結果が載(の)ってい ました。

今まで印象の薄かった別院をもう 一度地域の皆さんに馴染(なじ)んでいただくよう に努力されている様子がうかがえました。

行きは西門から入りましたが、帰りは南の細い道から帰りました。そこから見る別 院は白いお城のような存在感がありまし た。寺報で書かれているような物理的な存在感だけではなく、地域の人々がたくさん来られて馴染み深い別院になることを私も 願ってやみません。

真宗大谷派 鶴来別院

 

【場所】石川県白山市鶴来清沢町ヨ十二番地

お盆休みを利用して、石川県白山市にあ る鶴来別院へ行ってきました。

鶴来別院本堂
鶴来別院本堂

 

北陸自動車道白山インターを降りて約 三十分、手取川沿いの道を走り鶴来別院の 門前町に入っていきます。別院に近づくと 大伽藍の屋根が見えてきます。バックには 山がそびえています。

車を止めて山門から 入ります。境内に入ると大きな本堂が正面 にそびえています本堂の彫刻はどれもが 素晴らしく、特に木鼻(きばな)や手挟(たばさ)みなどの彫刻 が素晴らし いです。

 

境内の案 内板による と、鶴来別 院は「大御 坊」と通称 された鶴来村の惣道場(そうどうじょう)に起源があるとのことでした。戦国 時代、加賀国四郡においては、 本願寺第八代蓮 如上人のご子息 が入寺した寺院 を「御山」と呼 び、各郡の真宗寺院の中枢とな りました。

 

本多家の門
本多家の門

鶴来別院の所在する 旧石川郡には、現在、当別院が位置している清沢の地((現、白山市鶴来清沢町)に蓮 如上人の七男、蓮悟によって坊舎が創建 され「清沢坊」と称されまれた。その後、 一五三一年(享禄四年)、「享禄(きょうろく)の錯乱(さくらん)」と いわれる一向一揆の内紛によって焼き討ち にされ廃絶しました。

別院の寺伝によれば、 清沢坊が廃絶した後、天文年間(一五三二 ~一五五五)に大御坊惣道場が建立されたと伝えられています。惣道場とは、村落全体の門徒の総意により共同で維持運営され る念仏聞法の道場をいいます。

その後、江 戸時代を通じて鶴来における聞法の拠点と して護持されてきました。一八八〇年(明 治十三年)四月、金沢別院鶴来支院と公称 することになった事を契機として、当地の 門徒によって新たな本堂建立の願いがおこされ、翌年三月には仮御堂が建てられまし た。

一八九一年(明治二十四)十月に新本堂の建築が起工され、一八九九年(明治 三十二年)に完成しました。一九〇三年(明 治三十六年)十一月には金沢別院より独立 して鶴来別院となったと記されていまし た。これらの文章から、ご門徒方の熱い想 いによって本堂の再建が成されたことが伺 えます。

 

句仏上人の句碑
句仏上人の句碑

さて、境内を周ると、山門を入って左側 に句仏上人の句碑がありました。この句碑には「鶴来別院遠忌  句佛  この遠忌に 獲信の縁も  木々の芽も」と刻まれ、句仏上人である彰如上人が、大正八年四月十二 日に厳修された親鸞聖人六五〇回御遠忌法要にお参りされた際に詠まれた句だと分かりました。この他にも、境内には加賀藩筆頭家老本多家の門が移築された御殿門もあ りました。

別院の近くには北陸鉄道石川線の終点で ある鶴来駅が あります。の んびりのどか な景色を見な がら電車に揺 られて行くの もいいかもし れません。

浄土真宗本願寺派・本願寺岐阜別院

 

岐阜別院本堂
岐阜別院本堂

【住所】 岐阜市西野町三丁目一番地

二〇一五年十二月に竣工した岐阜別院へ お参りに行ってきました。二〇一六年五月二十九・三十日には本願寺新門様をお迎え して落慶法要も行われました。別院の場所は岐阜のシンボルである岐阜城がそびえる金華山の麓(ふもと)にあり、北側には長良川が流れ ている岐阜屈指の景勝地に位置します。

前 回二〇一五年四月に訪問した時はまだ工事の真っ最中でした。今回は境内まで車を乗 り入れることができ、天気もよく撮影日和でした。

本堂は入母屋造り(いりもやづくり)妻入(つまい)りなので、長野県の善光寺様のように縦に長い本堂です。中に入る と椅子がずらりと並んでい て、奥に深く学校の講堂のような雰囲気がします。本堂は昔の雰囲 気を残し改修 されていますので、木のぬく もりを感じるこ とができます。

本門の菱灯籠越しに岐阜城を望む
本門の菱灯籠越しに岐阜城を望む

外陣は約 三〇〇畳ありま す。改修以前は椅子席は百二十五畳分ありましたが、今回の改修で百九十五畳分に広げられたそう です。両側の通路の部分は耐震壁(たいしんへき)として桧(ひのき)で作られた格子がはめこまれ、景観を損なわないよう配慮されていました。

外陣は折(お) り上げ小組格天井(こぐみごうてんじょう)になっており、とても豪 華な達りです。正面には「香光」と書かれ た扁額(へんがく)が掲げられています。その文字は本堂横の会館にも名づけられています。

ちな みに会館も今回新しくなりましたが、以前 の会館は本山総会所から昭和三十四年に移築されたものでした。新しくなった香光殿 にも向拝に使用されその名残を見ることが できます。仏具は欄間や柱などが金箔押し 替えされて鮮やかな金色になっています。翠簾(すだれ)も新しくなり青い竹が輝いています。

 

鳥が頂上に据えられている八角堂
鳥が頂上に据えられている八角堂

境内には前々門主の勝如上人、前門様の即 如上人、そして新門様お手植えの木が植え られています。三代に渡ってお手植えの木 がある別院は珍しいですね。

本堂内には、岐阜市重要文化財になって いる経蔵や本門・裏門などがあります。裏 門は元々南側にあったようですが、今回の工事で西のお墓近くに移動されていました。 経蔵には輪蔵があり、これは人の力で回せ るようになっています。これを一回りさす と一切経(いっさいきょう)を読誦(どくじゅ)するのと同じ功徳があると されています。浄土真宗のお寺様にあるの は珍しいですね。

私が注目したのは八角堂です。屋根の形がかっにいいですね。通常、屋根の先 端には宝珠(ほうじゅ)付いているのですが、その 代わりに鳳凰(ほうおう)でしようか、鳥の造形物がしつらえています。鵜(う)飼いで有名な岐阜ならではですね。境内にはこの他に も庖丁塚もありました。

風光明媚(ふうこうめいび)な岐阜、お参りだけでなく、観光も盛りだくさんです。