「月刊 香華堂報より_その他の記事」カテゴリーアーカイブ

特別企画 伝灯奉告法要参拝記(第二回)

 

【本願寺】浄土真宗本願寺派
京都市下京区掘川通花屋町下ル本願寺門前町

響灯(きょうとう)

さて、いよいよ行事鐘が鳴らされ法要の始まりです。参詣席の結界向う側の外陣には、多くの僧侶の方々が出仕され、その光景は圧巻です。法要は散華(さんげ)(念佛)→表白(ひょうびゃく)→正信念仏偈→念仏和讃→回向句(えこうく)と続きました。驚いた点は、正信念仏偈の「依経段(えきょうだん)」と「依釈段(えしゃくだん)」とで、御門主と門前様が阿弥陀堂と御影堂とを代わられたことでした。

これを「ご転座(てんざ)」というそうで、門前様の昭和五十五年の伝灯奉告法要でも行われたそうです。

また、その「ご転座」の際に演奏される雅楽(ががく)では、聞きなれない楽器の音が聞こえてきました。案内によると金属製パイプを円筒(えんとう)状に配して木枠(きわく)で囲み、両手の鉢(ばち)をたたいて奏でる「響灯(きょうとう)」と呼ばれるもので、風鈴(ふうりん)を重厚にした感じの音色で、ウインドチャイムのような涼しげな音がします。

現門主初参式

法要が終わると、現門主大谷宗家ご一家にインタビューです。私たちがいる御影堂は阿弥陀堂の後ろです。その待っている間に、前回の法要の様子がビデオ上映されていました。そのビデオを見ていると、隣に座っているご住職から、ビデオに私が写るから写真を撮ってほしいと頼まれました。

タイミングよく何とか撮影することが出来ましたが、そのシーンは初参式の際に撮られたもので、前裏方様の少し後方にいらっしゃるのがご住職です。その昔、裏方様のお世話係をされていたようです。

いよいよ大谷宗家のご家族が御影堂に入ってこられました。最初に京都幼稚園の園児から大谷宗家の門主様、前裏方様、御門主の皆様に花束贈呈です。

その後、外陣正面に用意されている椅子にご着席されました。向かって左よりご門主、ご子息の敬(たかし)様、ご息女の顕子(あきこ)様 流豆美(るずみ)裏方様と並ばれています。

まず、専如門主のご消息があり、続いてインタビューです。司会の女性が代表で質問をされました。最初に御門主、次に流豆美裏方様、そして敬様の順です。

印象に残ったのは、敬様が答えられるときに手話でしょうか。身振り手振りを交えてお話しされたことです。やはり小さくてかわいいので敬様へのインタビューが一番盛り上がりました。

お見送りをされる裏方様、敬様、職員の方々

インタビューが終わると一同で恩徳讃を斉唱し退堂しました。帰りはお茶どころで解散となりましたが、せっかくなので、お土産屋さんでも見に行こうかと歩きましたら、バスで変えられる御門主様に対し、流豆美裏方様と敬様、職員の方々がバスに向かって手を振っていらっしゃるお姿に出会いました。

すごく微笑ましい光景でした。これからお寺をめぐる状況も様変(さまが)わりしていきますが、大谷宗家の皆様が力を合わせて導いて行っていただけるのではないかと強く思った法要でした。

特別企画 伝灯奉告法要参拝記(第一回)

 

【本願寺】浄土真宗本願寺派
京都市下京区掘川通花屋町下ル本願寺門前町

伝灯奉告法要記念写真本願寺の現門主・大谷光淳(こうじゅん)師(釋専如(せんにょ))は、さる平成二十六年六月六日、前門主・大谷光真(こうしん)師(釋即如(そくにょ))の跡(あと)を受け法統(ほうとう)を継承(けいしょう)し、本願寺住職、浄土真宗本願寺派門主として務められてきました。

その法統を仏祖の御前に奉告し、あわせて、本願念仏のご法義の隆盛と宗門の充実発展とを期して、内 外に就任したことを披露する伝灯奉告法要が、平成二十八年十月から平成二十九 年五月末まで勤められました。

初日の十 月一日は、真宗大谷派(東本願寺)の大谷暢顕(ちょうけん)門首をはじめ、各真宗教団のトップ方や、森川宏映(こうえい)、天台座主(ざす)、伊 藤唯真(ゆいしん)浄土門主も参列されました。

この伝灯奉告法要に、浄土真宗本願寺派京都下東組(そ)、聞光寺様に属する私も、 参拝募集の案内を頂きましたので、五月二十七日に参拝してきました。

法要鞄の内容
本山の法要は午後二時からでしたが、 聞光寺様には午後零時三○分に集合しました。既に四人ほど来ておられました。 まずは本堂にお参りです。

そして、参拝鞄や首から下げる名札に名前を書くなど 持ち物の確認です。鞭の中には、ご門主の著書や参拝パンフレット、本願寺の機関紙の『大乗(だいじょう)』、熱中症予防用の瞬間冷却パック、お菓子、靴袋などが入っていまし た。

気持ち程度ですが、少しお供えをしましたので帰りに腕輪数珠を頂戴しました。 その数珠もこの写真に入っています。

築地堀の三色幕と和幡
少し時間に余裕があったので、本堂で讃仏偈のお勤めをしてから本山に向いました。五分程で本山に着くと、まず目を引いたのが阿弥陀堂門や築地塀(ついじべい)に飾られている三色幕です。

その上、門の両側には真宗寺院ではあまり見かけない和幡が掛かっていました。五色の垂れで彩られ た華やかなものでした。

境内に入りお茶 所へ向かいました。お茶所には足が少し不自由な方が先に来て待っておられました。皆さんと合流し、まずは記念写真の撮影です。聞光寺様のご家族三人を含め、 十人での撮影でした。

その後、御影堂に向いました。聞光寺様の若さんである息子さんは本山にお勤めで、仕事中の本山の職員さんと親しげにお話をされていました。

参拝者は阿弥陀堂と御影堂とに分かれて着席します。私たちは御影堂の、向かって左側前方の椅子席に案内されました。 法要に先立ち挨拶があり、法要の説明がありました。そして法話と続きました。

今までは、法話は法要の後に聴聞するこ とが多かったのですが、法要の前にお聞ききするのは初めてのことでした。

さて、いよいよ法要ですが、 紙面の都合上、次回にいたします。

特別企画 姫路城(国宝②)

 

姫路城
姫路城

前回の心柱(しんばしら)をじっくり見終えた後は天守 閣の最上階に向います。最上階の部屋は小 さいので、大混雑でゆっくり外を見渡すこ ともままならない状況です。

そのような中、 少し耳にした知識を確認するため、外の瓦 を見ました。姫路城は瓦にも漆喰が塗られ ているのですが、塗られている両端の裾野に当たる部分がほんの少し平らになってい るという話です。

テレビではこれは水漏れ 防止でこのようになっていると解説してい ました。手間の かかる仕事です が、日本人らし い几帳面さを表しているなぁと感心しました。


最上階には神社があります これは長壁神社(おさかべじんじゃ)
といい、姫路城 が建てられる前から姫山(ひめやま)に祀(まつ)られてい た神社で歴代の城主に重んじられてきたよう です。姫路城の回りに は高い建物がないので 眺望は最高です。

天守を降りて外に出 ると『播州皿屋敷』で有名なお菊さんの井 戸がありました。皆さん中をのぞいていま したが、こんな明るいところにあると怖さ もないですね。

そして、その横には「リの 一櫓(やぐら)」と「リの二櫓」の修復工事を見学で きるスペースがあり、野地板と瓦が積まれ た様子を見学できます。当日は休日だった ので作業はされていませんでしたが、平日なら見られるかもしれません。

鯱(しゃちほこ)
鯱(しゃちほこ)

そしていよ いよ天守閣の鯱(しゃちほこ)の展示スペースに向いま す。展示スペースには明治・昭和・平成の鯱が並んでいて見くらべることができます 見くらべると、やはり明治のものが緻密(ちみつ)にできています。

鱗一枚一枚が半円できれいに描かれているのですが、昭和と平成のも のは逆U字型になっていて、仕事も少し雑 な感じがします。また鰭(ひれ)が上下二ヶ所つい ているのですが、明治のものは小さ目で鰭 のカーブがきれいです。仏具もそうなので すが、明治時代の物は意匠(いしょう)が細かいものが 多いですね。

あまり昔の良いところばかりをいうと、現 在の職人さん に叱られそう です。昭和・ 平成時代の良 いところを挙 げますと、明治時代に見ら れる無数の小さな穴が見られません。これは瓦の製法技術が発達したのではないかと推測できます。穴がないとスッキリしたデザインになりますね。

この他に、扇の石積みなど見どころはまだまだある姫路城です。 桜の時期も桜のピンク色と城の白色の調和 が非常に美しいです。

お昼からは書写山圓教寺に向いました。 映画『ラストサムライ』の撮影場所となっ たお寺です。こちらも見応えがあり、凛(りん)と した空気感を感じられるとても素敵なお寺 です。お城めぐり、お寺めぐりまだまだ続 きそうです。

特別企画 姫路城(国宝①)

 

【場所】兵庫景姫路市本町六十八

二〇一五年に修復を終えた姫路城がメディ アでよく取り上げられ ているので、春休みを利用して家族で行って きました。

姫路城

修復した効果もあっ てか、二〇一五年度の姫路城の年間入場者数は、国内のお城の中では日本一だったそうで す。そのため、開城時間前には長蛇の列でした。

車を東側の駐車場に止め西に向かいましたが、 後日聞いたところによると、豊臣秀吉の時代 の入口は、この東側だったそうです。理由と して、中国や九州地方の大名から城を守るためだとされています。ちなみにその頃のお城 の色は黒かったそうです。

197-2

長い行列を待ってようやく入城できました。 締麗になった姫路城は、出来上がった当初「白鷺城」ならぬ「白すぎ城」と揶揄(やゆ)されましたが、 一年以上たった現在では、色合いは少し落ち着いたのではないかと思います。

当日は天気もよく漆喰(しっくい)の白が輝きまぶしかったで す。豊臣秀吉時代は黒でしたが、徳川 家康の時代になり、城主が徳川家康の娘婿である池田輝政にかわり、これを 印象付けるため、白にかわったのではないかということがガイド本に書かれ ていました。

 

まずは「菱(ひし)の門」から見学です。姫路城の中では一番大きな門です。その門をく ぐり大天守(だいてんしゅ)に向かうと、また大天守に入る行列に並びます。向かう途中、スマホにアプリ をダウンロードすれば、実際に兵が銃をもって戦う様子や石を落とす様子が再現されるポ イントがあり、時代劇には馴染(なじ)みのない子供には好評でした。

いよ いよ大天守の入ロです。 靴を脱いで階段を登っ ていきます。見どころ は各所にありますが、 一番は三階の西大柱と東大柱でしようか。

197-3

姫路城の西大柱に は、大変なエピソード が残されています。昭和の大修理(昭和十年)年の際、腐食(ふしょく)が進んでいた西大柱は交換しなければならない状態でした。

そこで、兵庫県市川町の笠形神社のご神木を使うことになったのですが、地元住民は猛反対。しかし、地元の姫路城に使うという ことで、「姫路城の心柱として大切に使っても らえるなら」と伐採を受け入れました。

しかし、 話はそれで終わりません。せっかくのご神木 でしたが、上部に反(そ)りがあり、この一本だけでは使えないことが分かりました。心柱探し の再開です。

一年以上たった頃、長野県の裏木曽(きそ)に大ヒノキが発見されました。これで修復が進むと思われたのですが、運搬途中に折 れてしまいます。これでは心柱として使えま せん。

そこで一計が案じられ、笠形神社のご神木を下部に、長野県の木曽ヒノキを上部に 用い、つなぎ合わせて使うことが提案されま した。ここに二本の木はつなぎ合わされ一本 の心柱となったのです。

この二本のヒノキは、 まるで心柱になることを運命づけられていた かのように、見事な一本の心柱になったこと から、「運命の木」として語られています。訪 れた当日は人が多く、前回訪問した二〇〇三 年当時の心柱の写真を掲載しています。

 

まだまだ見どころはありますので次回にし たいと思います。

浄現寺様本堂落慶法要 及び 親鸞聖人750回御遠忌法要参拝記

浄現寺様1
浄現寺様1

先日、いつもご贔屓をいただいている現浄寺様(滋賀県湖南市)が、浄本堂落慶法要及び親鸞聖人 750回御遠忌法要を勤められ、私もお参りしてきました。

ご住職を始めご門徒の皆様には心よりお祝い申し上げます。

一般の法事でもそうですが、お寺様の法要も多くの方々が一堂に会するということがいいですね。しばらくお会いができなかった方々とも久しぶりにお会いでき、いろいろとお話しできて楽しい時間を過ごすことができました。

法要に参詣し思ったことは、仏具もその空間を演出するのに大切ですが、人々が集まり続いていくことが当てらのあるべき姿であるなあとしみじみ感じました。

浄現寺様5
浄現寺様5