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特別企画 姫路城(国宝②)

 

姫路城
姫路城

前回の心柱(しんばしら)をじっくり見終えた後は天守 閣の最上階に向います。最上階の部屋は小 さいので、大混雑でゆっくり外を見渡すこ ともままならない状況です。

そのような中、 少し耳にした知識を確認するため、外の瓦 を見ました。姫路城は瓦にも漆喰が塗られ ているのですが、塗られている両端の裾野に当たる部分がほんの少し平らになってい るという話です。

テレビではこれは水漏れ 防止でこのようになっていると解説してい ました。手間の かかる仕事です が、日本人らし い几帳面さを表しているなぁと感心しました。


最上階には神社があります これは長壁神社(おさかべじんじゃ)
といい、姫路城 が建てられる前から姫山(ひめやま)に祀(まつ)られてい た神社で歴代の城主に重んじられてきたよう です。姫路城の回りに は高い建物がないので 眺望は最高です。

天守を降りて外に出 ると『播州皿屋敷』で有名なお菊さんの井 戸がありました。皆さん中をのぞいていま したが、こんな明るいところにあると怖さ もないですね。

そして、その横には「リの 一櫓(やぐら)」と「リの二櫓」の修復工事を見学で きるスペースがあり、野地板と瓦が積まれ た様子を見学できます。当日は休日だった ので作業はされていませんでしたが、平日なら見られるかもしれません。

鯱(しゃちほこ)
鯱(しゃちほこ)

そしていよ いよ天守閣の鯱(しゃちほこ)の展示スペースに向いま す。展示スペースには明治・昭和・平成の鯱が並んでいて見くらべることができます 見くらべると、やはり明治のものが緻密(ちみつ)にできています。

鱗一枚一枚が半円できれいに描かれているのですが、昭和と平成のも のは逆U字型になっていて、仕事も少し雑 な感じがします。また鰭(ひれ)が上下二ヶ所つい ているのですが、明治のものは小さ目で鰭 のカーブがきれいです。仏具もそうなので すが、明治時代の物は意匠(いしょう)が細かいものが 多いですね。

あまり昔の良いところばかりをいうと、現 在の職人さん に叱られそう です。昭和・ 平成時代の良 いところを挙 げますと、明治時代に見ら れる無数の小さな穴が見られません。これは瓦の製法技術が発達したのではないかと推測できます。穴がないとスッキリしたデザインになりますね。

この他に、扇の石積みなど見どころはまだまだある姫路城です。 桜の時期も桜のピンク色と城の白色の調和 が非常に美しいです。

お昼からは書写山圓教寺に向いました。 映画『ラストサムライ』の撮影場所となっ たお寺です。こちらも見応えがあり、凛(りん)と した空気感を感じられるとても素敵なお寺 です。お城めぐり、お寺めぐりまだまだ続 きそうです。

特別企画 姫路城(国宝①)

 

【場所】兵庫景姫路市本町六十八

二〇一五年に修復を終えた姫路城がメディ アでよく取り上げられ ているので、春休みを利用して家族で行って きました。

姫路城

修復した効果もあっ てか、二〇一五年度の姫路城の年間入場者数は、国内のお城の中では日本一だったそうで す。そのため、開城時間前には長蛇の列でした。

車を東側の駐車場に止め西に向かいましたが、 後日聞いたところによると、豊臣秀吉の時代 の入口は、この東側だったそうです。理由と して、中国や九州地方の大名から城を守るためだとされています。ちなみにその頃のお城 の色は黒かったそうです。

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長い行列を待ってようやく入城できました。 締麗になった姫路城は、出来上がった当初「白鷺城」ならぬ「白すぎ城」と揶揄(やゆ)されましたが、 一年以上たった現在では、色合いは少し落ち着いたのではないかと思います。

当日は天気もよく漆喰(しっくい)の白が輝きまぶしかったで す。豊臣秀吉時代は黒でしたが、徳川 家康の時代になり、城主が徳川家康の娘婿である池田輝政にかわり、これを 印象付けるため、白にかわったのではないかということがガイド本に書かれ ていました。

 

まずは「菱(ひし)の門」から見学です。姫路城の中では一番大きな門です。その門をく ぐり大天守(だいてんしゅ)に向かうと、また大天守に入る行列に並びます。向かう途中、スマホにアプリ をダウンロードすれば、実際に兵が銃をもって戦う様子や石を落とす様子が再現されるポ イントがあり、時代劇には馴染(なじ)みのない子供には好評でした。

いよ いよ大天守の入ロです。 靴を脱いで階段を登っ ていきます。見どころ は各所にありますが、 一番は三階の西大柱と東大柱でしようか。

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姫路城の西大柱に は、大変なエピソード が残されています。昭和の大修理(昭和十年)年の際、腐食(ふしょく)が進んでいた西大柱は交換しなければならない状態でした。

そこで、兵庫県市川町の笠形神社のご神木を使うことになったのですが、地元住民は猛反対。しかし、地元の姫路城に使うという ことで、「姫路城の心柱として大切に使っても らえるなら」と伐採を受け入れました。

しかし、 話はそれで終わりません。せっかくのご神木 でしたが、上部に反(そ)りがあり、この一本だけでは使えないことが分かりました。心柱探し の再開です。

一年以上たった頃、長野県の裏木曽(きそ)に大ヒノキが発見されました。これで修復が進むと思われたのですが、運搬途中に折 れてしまいます。これでは心柱として使えま せん。

そこで一計が案じられ、笠形神社のご神木を下部に、長野県の木曽ヒノキを上部に 用い、つなぎ合わせて使うことが提案されま した。ここに二本の木はつなぎ合わされ一本 の心柱となったのです。

この二本のヒノキは、 まるで心柱になることを運命づけられていた かのように、見事な一本の心柱になったこと から、「運命の木」として語られています。訪 れた当日は人が多く、前回訪問した二〇〇三 年当時の心柱の写真を掲載しています。

 

まだまだ見どころはありますので次回にし たいと思います。

浄現寺様本堂落慶法要 及び 親鸞聖人750回御遠忌法要参拝記

浄現寺様1
浄現寺様1

先日、いつもご贔屓をいただいている現浄寺様(滋賀県湖南市)が、浄本堂落慶法要及び親鸞聖人 750回御遠忌法要を勤められ、私もお参りしてきました。

ご住職を始めご門徒の皆様には心よりお祝い申し上げます。

一般の法事でもそうですが、お寺様の法要も多くの方々が一堂に会するということがいいですね。しばらくお会いができなかった方々とも久しぶりにお会いでき、いろいろとお話しできて楽しい時間を過ごすことができました。

法要に参詣し思ったことは、仏具もその空間を演出するのに大切ですが、人々が集まり続いていくことが当てらのあるべき姿であるなあとしみじみ感じました。

浄現寺様5
浄現寺様5