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【広島別院】浄土真宗本願寺派

広島県白志摩市中区寺町一-十九

広島別院本堂

広島へ旅行に行きましたので、本願寺派の広島別院にお参りしました。広島駅に新幹線で到着し、各駅停車のJR普通 電車に乗り換え横川駅に到着、そこから 南に十分程歩いたところに別院はありました。周辺にもお寺が多く、住所を見て も寺町となっているので、元々お寺が多 い地域なのですね。

別院の建物は鉄筋造 りで、門をくぐると空にそびえる三角形 の大屋根が出迎えてくれます。ご存知の ように、昭和二十年(一九四五年)八月 六日、広島市に原爆が投下され、この広島別院もすべての堂宇が焼失しました。

再 興された本堂を見上げると、よくぞ再興されたな と思いつつ、多 くの方々のご苦 労や想いがこの本堂にはつまっているように思いました。境内には他の 別院以上に、いくつもの忠魂塔や供養塔 が立っています。

親鸞聖人像

本堂内は椅子式の近代的な様式で、内陣もきれいに荘厳されています。参拝の栞(しおろり)に よると、平成二十三年に大ホールを備えた 門徒会館が完成し、安芸(あき)門徒の中心道場と して完成したようです。

その栞には、龍谷大学の学長をされていた信楽先生の興味深 い一文が載っていました。少し内容をご紹介しますと、「幕末に書かれた『芸藩通志(げいはんつうし)』 という安芸藩の文化や政治・経済全般にわたる調査資料の中で、安芸の国の真宗信者 は「家に神棚をおかず、病んで祈祷せず、 墓をたてず、位牌もおかない」それが真宗 門徒の習俗だというのです。

また別の記録 によりますと、安芸の国では間引きをしな かった。赤ちゃんを殺さなかった。だから、 昔から人口が過多であったので、隣の岡山 県へ「作州かせぎ」「津山かせぎ」という 出稼ぎがさかんでした。そして近代になる と、海外移民としてハワイ、ブラジルにい きました。

戦前、広島市内の中学校にお世話になっていた頃には、毎月十六日の親鷲聖人の御命日に全広島市内にわたって魚屋 も肉屋もすべて休業し精進していました。 この広島では真宗信心が盛んであり、それ が日々の生活までに浸透し、生かされてい たのです。(『安芸門徒の伝統』より)」

私の家も真宗門徒ですが、昭和五十年 代までは家の仏壇には位牌が置いてありました。それが幕末の頃には位牌を置かないなどの真宗門徒としての教えが徹底されていたことに驚くと同時に、その教 えが全国に広まったのではないかと思いました。

厳島神社

お参りを済ませ、広島名物の路面電車 で厳島神社に向いました。広島の路面電車は各地の電車が走っており、京都市内 を走っていたベージュとグリーンのツートンカラーの電車を見た時は懐かし さで感動しました。

次の日は原爆資料館や原爆ドームを見学しましたが、 小学生の息子には刺激がきつかったようです。次の日 は呉の大和ミュー ジアムを見学し帰路に着きました。

姫路船場別院本徳寺 真宗大谷派

兵庫県姫路市地内町一番地

船場別院本徳寺本堂

前回の亀山御坊本徳寺様を後にして、山陽電車亀山駅から山陽姫路駅に戻り、船場別院様には徒歩で向かいました。

姫路にはいくつかの屋根付きアーケードがあり、そこを通り抜けて船場別院へ向かいます。お正月ということもあり、閉まっているお店も多かったのですが、いろいろと特色のあるお店があって、これも各地を訪れる面白味です。

アーケードを抜けると船場川に出ます。本山や別院の近くには必ずと言っていいほど、お仏壇屋さんがありますね。

さて、その仏壇屋さんを左に進み、ほどなく行くと船場別院が見えてきます。本堂は典型的な真宗の本堂の形式で入母屋造りの平入りです。説明版によると十七間四面あるそうです。境内は広く、近所の親子連れが凧揚げをされていました。

本徳寺の額

まずは本堂に入りお参りです。本堂は大きく、堂内の虹梁(こうりょう)や長押も金箔押しされていてきらびやかでした。また本堂上には「本徳寺」と書かれた額があり、その左端には「熾仁(たるひと)書」と書かれていました。

後日知らべてみると、江戸から明治にかけて活躍された有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたつひとしんのう)によるものでした。

これは明治二十一年に有栖川宮熾仁親王が、ここ船場別院に逗留(とうりゅう)した際に当時の住職が所望し揮毫(きごう)してもらったようです。

写真手前が望郷塚。後は勤皇の志士八名のお墓。

外に出ると大きな石碑があり、それには「行在所(あんざいしょ)」と刻まれていました。この文字は明治天皇がここで休憩されたことを示します。この行在所は、本堂北側に現存しています。

また本堂・表門・鐘楼・大玄関の四棟は市指定の文化財に指定されています。また、表門の元禄九年の石灯籠も同様に指定されたいます。

他に、境内片隅に「望郷塚」というものがありました。これは第一世界大戦時、境内がドイツ軍捕虜収容所として使用されたときに、捕虜になっていたドイツ人が故郷ドイツの城(望郷塚)を偲んで作ったものだそうです。

また、船場別院は姫路の教育機関としての役割も担い、姫路で始めての中学校がこの境内にあったそうです。現在も境内に船場御坊幼稚園があり、その意思が受け継がれています。

亀山本徳寺から東西分立で分かれたここ船場別院は、興味深いことに「轉亀山(てんきざん)」という山号です。まさしく亀山から移ったことを示す山号だと思いました。

姫路は姫路城を中心に活気のある町です。船場別院も二〇一四年に門徒同朋会館が新築され、より活動的になっています。姫路城を中心に歴史を探訪しに訪れるのはいかがでしょうか。

亀山御坊本徳寺

 

【亀山御坊本徳寺】浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路日亀山三二四

正月休みを利用して姫路にある御坊さん二ヶ寺、亀山御坊本徳寺(かめやまごぼうほんとくじ)様(本願寺派)と 船場別院(せんばべついん)本徳寺様(大谷派) に行ってきました。

本徳寺は蓮如上人の弟子で御堂衆(みどうしゅう)であった空善(くうぜん)が開基(かいき)で、元は英賀(あが)という土地にありました。

羽柴秀吉の西国攻めに伴い亀山に移動し、江戸時代になってこの地を治めた本多忠政の船場の土地寄進により、大谷派本徳寺が分立しました。

 

亀山御坊本徳寺本堂

まずは亀山本徳寺様のお話をしたいと思います。京都から電車で約一時間半姫路駅に降り立ちました。北側に出ると駅から白鷺城(しらさぎじょう)と呼ばれる白く美しい姫路城が正面に見えます。そこから西の方に進むと山陽電車の山陽姫路駅から二駅目 の亀山で降りてすぐのところに本徳寺様はあります。

塀に沿って歩いて行くと入口に向いま す。門前の道は石畳で整備されていました。まずは立派な大門をくぐり境内に入 ります。本堂は大門を入ってやや左手に あります。

この本堂は元々京都の西本願時の阿弥陀堂の北側に並んで建っていた 北集会所(きたしゅうえしょ)と呼ばれた建物です。明治六年(一八七三年)三月に移築されたものだそうで、明治維新(めいじいしん)では本堂が新撰組の屯所(とんじょ)になっていたそうです。

 

柱に残る刀傷

実際その時の刀痕(かたなきず)が本堂右外側の柱にありました。触ってみることもできるのでいささかその時代を回想して興奮してしまいました。

平 成十六年(二○○四年)六月九日と十日には、ここでNH K大河ドラマ「新撰組」の撮影が行 われたそうで、撮影風景のポスターも貼(は)ってあり、山本耕史さんや藤原竜也さんの姿も見受けられました。

本堂自体は浄土真宗の本堂には珍しい妻入りで奥行の長い建物です。お正月なので白幕が張っ てありました。堂内に入ると、きれいに修復された直後のようでしたが、照明が少し暗めでしたので、荘厳な雰囲気でした。

 

境内にはいろいろな建物があります。 まず、本堂向かって左には蓮如上人の御木像が安置した中宗堂があります。堂内 に入ると蓮如上人の木像が御厨子に安置されていました。

 

他の建物では、兵庫県指定文化財であ る八角輪蔵を持つ経堂(きょうどう)があり、本山の経堂(きょうどう)と非常に似た造りとなっています。反対側には書院大広間などがありますが、 特に大広間上段の間を見上げると素晴らしい花の丸の絵が描かれておりました。

 

今回、お寺を回るのに手書きで書かれた案内地図を参考に回りました。印刷さ れたものが主流ですが、こうした手書きのものは心がこもっていて大変親しみがもてました。次回は船場別院本徳寺様をご紹介したいと思います。

【勝林寺②】臨済宗東福寺塔頭

【場所】 京都市東山区本町十五丁目七九五

勝林寺庭園

一月二日に座禅体験をし てきましたので、前回の続きをお話した いと思います。

和尚さんのお話が終わりいよ いよ座禅の始ま りです。説明を受けた通りに、 背筋を伸ばし両手をへソの前に置き薄目を開けていたのですが、邪念が入り、和尚さんが どこを歩いていらっしゃるとか、他の人が どのように叩(たた)かれるのかなどが気になり、 最初は数を数えるのを忘れておりました。

しばらく様子を伺っていると、隣の方が一 回目の座禅で叩かれていました。左右の肩 を二回ずつ計四回、バンバン、バンバンと 叩かれていました。その音が結構いい音だったので、さぞかし痛いだろうなあと思いました。

一回目は様子を見る方が多く、 叩かれている方は数人でした。また斜め前 に座った女性は警策(けいさく)を受ける体勢が浅かっ たので、和尚さんがもう少し屈むように手で肩を押さえておられました。

座禅終了の合図は音木(拍子木のようなもの)を鳴らされ、続いて鈴を鳴らされま した。音を聞いて、浅い眠りから目覚めたように思いました。

 

座禅の後に頂いた生菓子と抹茶

二回目の座禅が始まりました。今度は心を落ち着かせ、「いーち、にー」と数えながら呼吸することができました。せっかく 来たので、二回目は叩かれてみようと思い、 和尚さんが近づいて来られたのを薄目で確 認して合掌しました。

一回目の時に女性が指導されていたのを思い出し、両肩を深く さげて正面から叩いてもらいました。予想通り結構痛かったですが、気合を注入され たように思います。自分と同じように思った方が多かったのでしようか、あちらこち らで音が響きました。

その後、法話を聴聞 いたしました。本来の座禅は五十分間、線香一本が燃え尽きる時間らしく、また十二 月一日から八日のお釈迦様が仏様となった 日、成道会(じょうどうえ)までは座禅三味(ざんまい)の期間で、昼間に加えて夜九時からも外で座禅をなさるそ うです。やはり修行は大変そうですね。す べての体験が終わるとオプションでお願いしていた抹茶と生菓子をいただきました。

 

 

その後、正月限定でご開帳されている毘沙門天(びしゃもんてん)を拝観しようと思ったら、本堂には長い列が。私も並んでいると、そこは拝観のための列ではなく、御朱印をもらうためのものでした。

こちらのお寺では二○一五 年から、それまでの一種類だけの御朱印ではなく、季節ごとの御朱印があるようです。 そうされた和尚さんの願いは、一年に何回 も足を運んでいただき、仏法に触れて頂き たいということからだそうです。

私は御朱印はもらわずに、途中から行列を抜けて、 ご本尊を拝観いたしました。毘沙門天像は 高さ145.7cm と等身大に近い堂々とし た仏像です。内々陣の小さな部屋で正座を して仏像の説明を受けましたが、その場所がご本尊に向かって斜めになっています。 これは天上界に向かうことを表しているそ うです。

勝林院では 座禅の他に写経や写仏体験 もされているようです。い ろいろな体験を通して、ま た紙面でもご紹介できれば と思います。

 

【勝林寺①】臨済宗東福寺塔頭

 

勝林寺本堂
勝林寺本堂

【場所】 京都市東山区本町十五丁目七九五

二○一六年を振り返り少し自省を込めて二○一七年の幕開けは座禅をしたいと思い ネットで探したところ、元日に座禅をして いるところはなく、二日にしている東福寺 塔頭勝林寺にネットで申し込みました。

座禅体験は費用一○○○円、オプションで生菓子と抹茶を頼んで一七○○円。他に、正月三ヶ日は御本尊である毘沙門天(びしゃもんてん)のご開帳をされているので、その拝観料三○○円 をプラスして合計二○○円を払いまし た。

今回は自転車で向かいましたが、電車 だとJR奈良線東福寺駅より徒歩十分程で す。坂道が結構きついです。

座禅会場
座禅会場

十時からの開始なので、二十分前に受付 を済ませました。座禅会場は本堂向かっ て左あるに二十畳ほどの座敷で、すでに座布団とその上に腰を支える半分くらいの座布団(座蒲(ざふ))が置いてありました。

胡座(あぐら)を かいて待っていると、次々に参加者が来ら れます。総勢二十四人くらいで、男女比は 半々、結構若い方が多く、中には家族で来 られている方もいらっしゃいました。

時間 になると和尚さんが来られ、ご挨拶と座禅の仕 方をお話されました。和尚さんは市川海老蔵似のイケメンでした。

脚(あし)の組み方は、まず右足を左足の上に乗 せ、左足を右足の注に乗せます。左右乗せることができれば結跏趺坐(けっかふざ)というようです が、片足だけですと半跏趺坐(はんかふざ)というそうで す。片足もできず胡座をするだけでもいい とのことです。

私は何とか右足だけ族提の 上に乗せることができました。眼は半眼で 薄目を開けてくださいとのことでした。手は、まず右手を足の上に置いてその上に左手を置き、親指同士の頭を軽く触れさせま す。

そして、いーち、にーいと一つ数えるごとに息を吐 いて吸ってい きます。十まで数えたらま た一から数え ます。十以上 の数字を数えると、数を数 えることに頭がいって、座 禅に集中でき ないとおっ しやっていま した。

さて、ここまでの説明時には何も手に持 たれていなかったので、座禅には付きも のの長い棒「警策(けいさく)」はないのかなと思って いたら、おもむろに出してこられて、それ がまた当店で扱っている警策の大(長さ 一○八cm)よりも長く幅が広く見えたの で、叩かれたら痛そうと少し不安になりま した。

しかしながら和尚さんが、今回は座禅体験なので、叩いてほしいと願い出た方のみ近づいたら合掌して下さいと言われま したので少しほっとしました。座禅時間は十五分間。五分の休憩をはさんで二回行い ます。

いよいよ座禅のはじまりですが、次回に いたします。お楽しみに。